(笑顔がぎこちない…)
税理士永井慧事務所 代表の永井 慧と申します。
はじめまして。
生まれも育ちも宇都宮市の税理士の永井 慧(ナガイ ケイ)と申します。
プロフィールをご覧いただきまして、誠にありがとうございます。
当事務所は、ひとり税理士である私自身がすべてのお客様を担当しますので、担当者が変更になることはありません。
税理士がすべて担当するということは、お役に立てるお客様の数に限界があります。
よって”数ではなく、ひとりひとりのお客様と深く接することでお役に立ちたい”と思っております。
”定期的に税理士事務所の人が来るが、税理士が来ない”というようなこともございません。
また、無資格の職員が担当することもございません。
社外の財務部長のような存在であり、お客様が気軽に相談できる存在のビジネスパートナーとしてお気軽にご相談頂けますと幸いです。
好きなこと、もの、趣味
●何かを調べること。日々の勉強
●体を動かすこと。(フットサルやテニスなど)(ランニングも好きなのですが、膝がぁ…)
●人とお酒を飲むこと。(全然強くはない。)
●人と話すこと。
●焼肉
●お寿司
●コーヒー
●スポーツ観戦(Jリーグ(FC東京、大宮アルディージャ、栃木SC)とBリーグ)
●ラジオを聴くこと。(TBSラジオ、ニッポン放送、東京FM、Nack5、FM栃木)
●お散歩(歩くことが好きです。特に書店巡りが好きです。)
●読書(小説はあまり読みませんが。。)
苦手なこと、もの
●納豆、ねばねば系の食べ物
●時間にルーズなこと。
●雨の日(子供か!機関車トーマスのキャラクターのヘンリーも雨が苦手なようです。)
●ジンギスカン(口に羊がぁ。。)
●パクチー
●せかされること。
●人の悪口
●コンプライアンス意識が低い人、ごみをポイ捨てする人。
●最低限のモラルがない人、すぐ怒る人。高圧的な言動をする人。
●かっちりした服装(すいません!あまりスーツを着ません。)
●挑戦しないこと、固定観念にとらわれること。
ブログを始めた理由
まず最初に始めたきっかけとしては、自分の生き方の軸を書き記したいなと思ったからです。
思考や頭の中、気持ちを整理をすることの訓練や自分の人柄を知ってもらうツールとして始めました。
コツコツ何かをやることも好きでしたので、それも相まってブログを始めることになりました。
文章の量は日によって多い少ないがございますが、原則として平日毎日更新しております。
(最近お休み中で申し訳ございません。)
家族
名監督の星野仙一さんのような激情型?の妻とのんびり屋の長男と甘えん坊の次男の四人家族
略歴(以下箇条書きで失礼します。)
【1987年4月】
栃木県宇都宮市にて、公務員の父とパワフルな母のもとに長男として生まれる。
典型的なB型らしく、血液型を外されたことがほぼありません。
ウサギ年の牡羊座。
【幼稚園】
年少から幼稚園に通い始める。
放課後のサッカー教室がとても楽しかった。
団地の同級生たちの運動神経が良すぎて・・・ドンマイ(‘ω’)
年中の時に、待望の弟が誕生。
とてもかわいかったのは覚えている。
祖父や祖母と母の病院にいったのは少し覚えている。
その後、よくケンカをしたものだが彼が弟で本当に良かったと思う。
幼稚園の一番の思い出は、父兄参観で父と一緒にワニの貯金箱を作ったこと。
【小学生】
今も憧れる友達に出会う。(頭も良く、友達も多くうらやましかった。。)
あんまり小学校ではなじめていなかったような気もしますが、いい友達に恵まれる。
(この頃から組織に属するすることに向いていなかったのかも)
習い事のサッカーと塾に行くのが楽しかった思い出。
中学受験のために頑張る。
【中学生 2000年4月~2003年3月】
ミレニアムの年に宇都宮大学教育学部附属中学校へ入学。(今は共同教育学部?というらしい)
石川先生率いるソフトテニス部に入部!みんなにすごく迷惑をかけたなと今更ながら反省。
部活中心の生活を送りながらも勉強、友人関係、遊びとそれなりに充実していた印象。
幅広い友人関係ができ、中学時代の友人はいまだに仲が良くさせてもらってます。
保護者のような友人に恵まれラッキーラッキー
【高校生 2003年4月~2006年3月】
中学の大半が進学する県立宇都宮高等学校に入学した。
学校は楽しく生活できました。生まれ変わっても男子校に行きたいなと。
勉強に関しては全くついていけなかったかなと。
友人関係、遊びとそれなりに充実していた印象。(ん?勉強は?)
特に外部の模擬試験はめちゃくちゃ勉強する。(よって内申点が・・・チュドーン)
実力不足で浪人が決定。
【浪人生 2006年4月~2007年3月】
河合塾に通う。
友人関係、遊びとそれなりに充実していた印象。(ん?勉強は?)
もっともっと勉強すれば良かったと、これまた後悔。
今更ながら後悔。
一年しか過ごしていないが、今も仲良しな友人がたくさんできた。
偏差値を引き換えに、一生の友達をゲットしました。
【大学生 2007年4月~2011年3月】
大学へ入学。
商学部だからという理由で簿記を始めるも、まったく興味がわかないまま簿記から遠ざかる。
アルバイトは塾の講師を勤める。
当時から”資格”に興味あり、税理士試験に進むか公認会計士試験に進むか考えたのですが。
大学の教授という職業も魅力的に感じて、とりあえず大学の教授になろうと決意。
調べたところ実務家の教授や客員教授の存在を知ることに。
公務員の父を見ていて会社の命令で転勤や職種を選べないのは、どうもなぁ…と感じたところもあった。
当時からよそはよそ!うちはうち!という自分のスタンスは一貫している。
(うちの名物母ちゃんはとても世間体を気にするので、少し反発心があったのかもしれません。)
大学3年生の時に簿記1級を6月に受けるも不合格。そのままの流れで税理士試験の簿記論を受験(8月)するも不合格。
そこから大学院の下調べなどを行うために、税理士試験の勉強はお休みとなる。(すごろくゲームみたいですが)
周りは就職活動を開始するが、自分は大学院の願書を取り寄せたり、研究室を飛び込みで訪ねたり。
特に焦ることもなく、そして無事に卒業。
【大学院生 2011年4月~2013年9月】
大学の先生(客員教授)になりたいなと思い、法政大学の大学院に進学。
選んだ理由は①博士課程に進める枠がある。②税理士試験の免除論文が書けること。②会計士試験の一部免除が出来ること。
博士課程に進むことが難しい場合には、税理士か公認会計士にシフトできるようにリスク回避を考えて選択。
そこで大学の先生になるということの難しさの現実を突きつけられる。
そして、周りとのギャップに悩んでた時期。(The 黒歴史)
(税理士は二世が多いんだなぁと実感したのと、金銭感覚がすごくて”マジか…?”という周りとのギャップ。)
アルバイトに精を出しすぎて、半年留年するハメに。。。トホホ。
大学院3年より、税理士試験にシフトして本格的に勉強を始める。
仕事しながら合格できるという甘い言葉に誘われる(笑)
(大学の教授になるというのは、本当に大変なことなんだなと実感。)
【社会人 2013年9月~2021年12月】
3か所の税理士法人を勤務して、今に至る。
特に2つ目の港区の税理士法人では貴重な体験もできました。
今後の自分の進むべき道を示してくれた事務所だなと感謝しております。
若いうちに生まれ育ててもらった地元に帰り恩返しをしたいこと、 両親のそばにいてあげたいなと思ったこと、 従来型の会計事務所のスタイルに疑問を持ったこともあり、この度独立開業をすることになりました。
社会人時代に感じたことは”働きながら勉強することは難しい”ということ。
無資格の受験生だった自分に嫌な顔一つせず、いろんな業務に携わらせてくれたことに感謝の言葉以外見つかりません。
東京、埼玉で約10年生活していますが、いまだに栃木弁の訛りがとれません。